葛藤
おとうちゃんのわがままで家族みんなで山に移住して農家をめざし、一生をこの町で過ごすことを決め今がある。
まわりの人たちに支えられての駆け出し農家生活は毎日が充実していて、トマト農家を目指しながら未だトマトを触っていないこと、ずっと無収入なことなども気にならない。
いつも逃げ場を探しながら仕事をしていた会社員時代とは違って、すべてをあるがままに受け入れ、常に前だけを見る生活は本当に充実していると思う。
けれど大きな葛藤もある。
それは、
「おとうちゃんのわがままで子供たちに多大なる犠牲を強いていないか?」
ということ。
『子育て』と『教育』。
ここでは『子育て』の環境はとてもいいと思う。
親の目がとどき、町中の大人がみんなで子供を大切にしてくれ、自然の中で四季を感じながら、大人に見守られながら生活する。
反面、『教育』の環境はいいとは言い切れない。
少人数による競争意識の低さはいい面もあるけれど、いろいろな価値観に触れる機会が圧倒的に少なく、学習の機会も都会とは比較にならない。
そんななか、今春長女が中学校へ進学する。
小学校の全校生徒が60人弱。中学校はもちろんその半分。
部活をしたくてもチームが組めない、指導者がいない(なにより生徒がいない)等でほとんどない。
そのうえ校舎の老朽化や生徒数の少なさから統廃合も検討されているとか。だからといってバスで遠くまで通うというのも違和感がある。
高校は家から通学できるのは1校のみのため、子供の将来の希望によっては都市部への下宿も考えなければならない。
『新規就農』での移住は自分のやりたいことを実現させるため。
主体はあくまで『大人』。
「親が充実している姿を子供に見せたい」
「やりたいことを実現している親でありたい」
と思いつつも、子供には無理を押し付けているのかもしれない。
親が自分にしてくれたこと。それを子供たちに返したい。
ぱぱこあら